いつも心に鳥をーぱはりんです。
「次何書こう?」と考えているうちに時間が過ぎていました💦
物心ついた時から鳥が好きで、鳥を観て、鳥を飼って育ってきて、そして大人になり、家族は犬を飼っていますが、私は鳥。
改めて鳥を観ることと鳥と暮らすことにについて考えてみようと思いました。
一般論ではなく、私の視点中心になってしまいますがご了承頂けたら幸いです。
鳥を観ること、鳥と暮らすこと。
子供の時のおぼろげな記憶をたどりながら、なぜそんなに鳥に惹かれたのかを考えてみました。
結局、確信めいた答えは何も見つかりませんでしたが、子供の時はとにかく、鳥のかわいさに惹かれていたような気がします。
大人になった今、改めて鳥の何がそんなに魅力なのか改めて考えると、鳥のシルエットから始まり、羽、くちばし、脚、目、飛翔、鳴き声、仕草、生きる姿、その1つ1つ、鳥のすべてに魅力を感じているんだと思います。
羽1枚見ても面白い。
体の部位によって違う羽の色や形。
全体的な色、手触り。
全てが計算しつくされている羽の構造。
キュッと指を握る脚の感触。
文鳥、インコ、オウム、スズメ、みんなそれぞれ違うけど、キュッと握られたときに感じられる鳥たちからダイレクトに伝わってくるなにかとても温かくてやさしいもの。
澄んだ目。
警戒する目。
眠そうな目。
くるくる変わる目の表情。
美しいさえずり。
さえずりとはまたちがう、違う鳥かと思うような地鳴き。
求愛ソング。
ピアノの鍵盤にあるようなドレミファソラシドを駆使しても再現するのが難しいようなメロディーを、いとも簡単に紡ぎ鳴き声として発するその大音楽家並の音楽能力。
本能のままに動いているようで、しっかり意思ももっている。
特に飼い鳥。
「こうしたい、ああしたい」、主張あるなぁと思います。
野生は危険と隣り合わせで本能が勝つと思いますが、飼い鳥は本能がちょっとお休みモードになってそうに感じられる時もあります(笑)
もちろんそれは鳥が安全・安心を感じられているからだろうと思うのですが、そのあたりは人間と共通するものもあり、なんだか親近感もわきます。
飛ぶ姿も美しいですね。
飛んでるときの翼のの先端がわずかにカーブしていたり、難しいことは何も分からないけれど、そういうのも全て計算もできる構造だったり。
一方では目を楽しませてくれ、一方では頭を楽しませてくれる。
眠い時はあくびしたり、目がショボショボしたり。
真剣な顔して羽繕いしたり。
びっくりしたらビヨーンと伸びる。
リラックスしたら餅のように溶けたように座ったり。
反対に警戒したら、シュッと細くなる。
エサを1つ1つついばむ姿。
水を飲む姿。
かゆいところをポリポリ脚でかく仕草。
仕草の全て。
その仕草1つ1つが愛おしいなと思います。
そして、日々マインドフルに生きる姿。
過去に生きるわけでもなく、未来に思いを馳せて生きるわけでもない、いつも「今ここ」にいて精一杯生きている姿には感動するし、大切なメッセージを生きる姿を通して伝えてくれているように思います。
鳥の姿や声にただ癒やされ、かわいいと思う側面。
自分の心と対話するきっかけをもらう側面。
そして、芸術、物理、数学、化学、科学も申し分ないほど凝縮されている側面。
そういうことろが鳥に惹き付けられて止まないところなのかなと思います☺
こんなこと書くと物理数学科学、全て分かっているように勘違いされそうですが、まったくです笑
ただ分からなくても興味はあって好きです。好奇心☺
(余談ですが、芸術、特に音楽は大好き。化学は仕事に関連もあります。)
鳥に惹かれる理由、
鳥を観ること、
癒やしであり、
楽しさであり、
あらゆる角度からの好奇心が満たされる。
それが私が鳥に魅了されて鳥が好きで、鳥を見続ける理由なのかなと思います。
もちろん、これは私にとってであり、人それぞれ☺
正解はないと思っています☺
鳥と暮らすこと、
これもきっと、「鳥に惹かれる理由、鳥を観ること」と共通しているところはたくさんあると思います。
ただ違うのは、当たり前ですが、慣れている鳥が身近にいて一緒に生活している点。
なので、相手も主張してきます(笑)
鳥を飼い始めた頃は、おそらく、鳥が好きだから鳥を飼いたい!と単純に思って飼い始めたと思います。
そして、その当時を振り返ると、やっぱりさみしさもあったのかもしれません。
鳥は対等な関係をつくる動物。
また自由の象徴でもあるので、心理的にみると、そういう関係を無意識に求めていたり、自由を求めていたのかもしれません。
そんなに難しく考えること必要ないかもしれませんが、そういうこと(心理)を考えるのも好きです(笑)
今、改めて鳥と暮らすことを考えた時、
確かに癒しをもらっているなとは思います。
ですが、きっと昔と違うのは、「さみしいから飼う」という要素のような気がします。
ペットは心のさみしさを埋めてくれるものではないと感じます。
それでは「モノ」や「道具」と同じ観念になってしまいそうで、鳥もあくまで1つの命をもって、一回きりの”鳥生”を一生懸命生きている動物で、人間の心を満たすためにいるものではない。
人間と鳥の人生と鳥生が対等で交わった時、ペットの鳥との本当のいい関係が築けるように、鳥と暮らすなかで今は思います。
ほどよい距離感でお互いが快適に過ごせるラインを見つけることが、ペットと人間にとっても心地よく暮らせる秘訣なのかなと改めて思います。
とはいっても人間とペット。
人間の都合でお留守番させたり、「私、結構身勝手なことしてるのかな。ごめんね。」と思いつつも、それをも学習して、私の仕事やお出かけの帰りを待ってくれている鳥には本当に感謝だなと思います。
鳥と暮らすこと、
ただ自分より小さな意志を持った動物が家にいる、いっしょに暮らす、というわけではなく、一緒に暮らす中で、癒やしや楽しみも含めて、自分の人生にとって大切なことを学ばせてもらっているんだと思います。
そして人生と鳥生を、お互い分かち合っているようにも思います。
また、小さな体から命の躍動と大切さも、大いに感じさせてもらっているように思います。
小さい頃はこんなことは微塵も考えたことなかったはずですが、私は生まれた時から今なおある疾患で病院にお世話になり続けているので、もしかしたら鳥の小さい体に宿る「命の躍動と大切さ」に、一緒に暮らしながら無意識にも心が惹き付けられていたのかもしれませんね。
命あるのは動物全てですが、動物の中でも私の心をつかんだのが鳥だったんだと思います。
人間とペット。
私の場合は、ペットは鳥ですが、人間同士とはまた違い、でも、人間とペット同士、似ているところもあり、互いにとても尊い存在だと思います。
とりとめのない文章になってしまいましたが、鳥を観ること、鳥と暮らすこと、掘りさげてみると、いろんなことが詰まっているなと思います。
きっと1人1人それぞれ、ペットが鳥であっても犬であっても、猫であっても、どんな動物であっても、それぞれの大切な思いや考えがあると思います。
先ほども書きましたが、正解はなく、また1人1人の思いがきっとその人にとっての正解なんだと思います。
またペットがいてもいなくても、またそれにも正解はなく、きっと全てがその人にとっての正解。
これからも1人1人の方が、自分の思いや考えと共に、鳥を観ることを楽しみ、またペットがいらっしゃる方は、自分の思いや考えと共に、愛するペットと幸せに楽しく暮らすことができますように☺🍀
写真なしにここまで記事を書きました。
この記事の最後に、過去に撮った写真とペットの写真を載せたいと思います☺
~過去に撮った写真~
~ここからペット~