いつも心に鳥をーぱはりんです。
目新しい記事が書けたらいいのですが、姫松との時間から感じたことを引き続き書かせて頂きたいと思います。
おまけの時間をもらったように感じています。
8月・9月の時点では、正直、11月を姫松と一緒に迎えることができるとは思っていませんでした。
10月ももちろん安心はできませんでした。
今でも姫松の体調のことで心が休まる日はないなと思います。
良くなるのも悪くなるのも本当に早い。
特に、体温・食欲・血色・体重の変化からは日々目が離せません。
そんな中でも何が起こったのか、以前の記事以降、ずいぶん動くようになっています。
脚や羽の力、弱っていっているところもありますが、姫松の回復が本当に不思議です。
開口呼吸も格段に減り、かすかな声で鳴く回数も増え、以前よりこまめに羽繕い。
吐く回数も激減。
もう最後はいつか覚えていない水浴びを、前回の記事以降、突如3回。
お腹はポコッと腫れたままなのに、フンは意外にも良好。
治療しても、今までの文鳥は発見と同時に坂を転げ落ちるように悪化して亡くなった子が多い中、無治療でここまで回復してくれるとは夢にも思っていませんでした。
それでも基本、私の手の中で過ごしています。
パソコンがお気に入りになったようで、パソコンの上に降りるまでに。
キーボードの文字を取ろうとがんばる仕草はとても愛らしくほほえましいです。
そんな姿が見られることも夢にも思っていなかったですが、これもいただいた時間のおかげだなと思います。
それでも、姫松、無理できない体であることには違いありません。
考え方によっては、まだ姫松の寿命が終わっていないだけ。
ですが、もうこれでダメだと思うところから何度も復活してくれて、弱っているとはいえ、一時期よりはずいぶん回復・安定しているようで、今も姫松といっしょの時間を過ごせることは、姫松との時間を「いただいた」ように思います。
ありがたいです。
“あって当然”、ではない時間。
そのいただいた時間で、これから姫松とどんな過ごし方ができるのかなぁと考えさせられます。
ものより思い出。
たくさんの瞬間が心に刻まれるように、姫松との時間と思い出を大切にしていきたいです。
ペットでも人間でも、過ごしたい大切な相手と一緒に過ごせる時間というのは本当にかけがえなく大切に思います。
もしお互いにとって幸せな時間ならば、それは一生の宝ものとして心に刻まれるような気がします。
文鳥 ― この小さな体に宿っている心。
心を考える時、人間と鳥とがまったく同じとは思いません。
それでも、
長い年月をかけたコミュニケーションで、姫松との間に心のパイプラインができていったと思います。
最初は心のパイプラインなんてなく、また最初は切れてもおかしくないほど、心のパイプラインはか弱かったはずです。
ですがお互いに試行錯誤のコミュニケーションの繰り返しのなかで、心のパイプラインが開通し、それがゆっくり太く頑丈に育っていったんじゃないのかなと思います。
心のパイプライン、
信頼関係、愛情の通り道、安心感、安全、つながりetc、表現はいろいろできると思います。
ペットであっても人であっても、自分にとって大切な人であればあるほど、特別な愛を感じる相手であればなおさら、その相手も、相手との関係も、心のパイプラインを慈しんで丁寧に、相手の気持ちもペースも尊重しながら時間をかけて育てていきたいと思います。
また、人間と同様、動物も生まれ持ったものがあり、得意不得意もある。
性格も特徴もある。
歳を重ねるとできないことも増えてくる。
鳥だって見た目も変る。
生まれ持ったものでも、できなくなっても、見た目が変っても、何でも、その子であることは違いない。
人も同じ。
鳥だったら鳥生、人間だったら人生、その子がその子である限り、相手が相手である限り、その子、相手、そのものを大切に思います。
今回いただいた時間は、心のパイプラインのおかげだとも思います。
一方通行ではない、通い合う心のパイプライン。
姫松。ちいさな体。
度重なる衰弱、そして奇跡の回復力を通して、何度でも、同じ事でも、繰り返し、日々大切なことを伝えてくれることに日々ありがとうです。
心のパイプライン、流れゆく時間のなかで、
すべてのペットと飼い主さん、そして、飼い主さんと大切な人・愛する人が幸せでありますように🍀🍀🍀
お互いにとって幸せに感じられる愛が育っていきますように🍀🍀🍀